"Karma Chameleon"の歌詞の中のgoldのこと
以前、カルチャークラブというバンドのの"Karma Chameleon"という曲を聴いた。その曲の歌詞をを初めて見た。
歌詞を眺めていると、
Red, gold, and green
という箇所がある。
おそらくこのgoldは「黄色」の意だと推測した。
おそらくyellowでもいいはずだが、それだと語呂がよろしくないのだろうか。
街の靴屋の良さを知る
あまり靴屋に行きませんが、革靴を昨日購入してきました。
昔ながらの靴屋さんで、昔のおばちゃんが親身に接客・対応してくださいました。
そこで言われました。「このままじゃ、足が悪くなるよ」と。ビックカメラに入っている靴屋では、このようなことは指摘されないなと思いました。あの靴屋に入らなかったら、どうなったか分からない。
やれ資本主義だの社会主義だの、成果主義だのの議論をするつもりは毛頭ない。だが、昔ながらのご近所づき合いではないが、このようなものが失われないことを願いたい。大量生産大量消費社会、利益ありきの社会の弊害かもしれません。アマゾン vs. 古本屋の不毛な議論にも言えることではないでしょうか。
Go for broke 考
「当たって砕けろ」という諺がありますが、人によっては、否定的な見方をされる方もおられるかもしれません。
このフレーズは、第2次世界大戦でアメリカのために戦い散っていった日系二世の方のスローガンであったこともあるからです。
それを知った瞬間、その諺に対して180°変わった見方が生まれました。「当たって砕けろ」の「砕けろ」とは、このことかと思いました。
言い換えるなら、Go the distance.というところでしょうか。
新入社員のタイプ考
以前、「ドローン型」(筆者が入社した当時の標語)なる語を記事にしたが、以前のことも踏まえて考えてみたい。
「今年の新入社員を一言で表す語」は最近に始まったことではなく、1973年からあるそうだ。昨日放送の「ニュースチェック11」(新キャスター初回)で、青井実アナウンサーと長尾香里キャスターが、自身らの入局時のタイプを、今までのタイプが全て分かる表を参照し、振り返っていた。
このような定義の仕方は、その時代に流行したものを映し出す鏡であり、社会の縮図であることは必ずしも間違いではない。ただ、新入社員を十把一絡げにする定義の仕方には、少々問題があるのではないか。一般的な何かを導き出せるということは利点と言えるが、それが全てというわけではない。会社で上司がそれを基準に部下に働きかけるかと言われたらそれは違う。
その標語なるものを一生背負い続けても意味はない。「ゆとり世代」という語は今も独り歩きしている。本人は気にしていなくても、独り歩きしているのだから皮肉なものだ。筆者も「ゆとり世代」(こんなことは認めたくないので鉤括弧を付けさせていただいた)なのだが、別にその世代はその世代でいいと思うし、あれこれと問題にすべきではない。その年の新入社員もまた同様である。
大切なのは、自分に何が不足しているのかを理解し、どう補うか。そのためには、エニアグラムなどをし、自分の立ち位置を知り、同僚の立ち位置を知ること。その方が生産性があると信じたい。
個人的には、「ドローン型」などと言われて、嬉しくもなんともない。あんなマシンと一緒にされるなど死んでも許さん。
とはいえ、ラジコンのように誰かが我々を操作しているということだ。受け身の姿勢とでも言いたいのだろうか。
フェイクニュース?
久しぶりの投稿です。
最近、「フェイクニュース」という言葉を聴くことが多くなりました。あくまで個人の意見ですが、「フェイクニュース」という言葉にはかなりの違和感があります。
そもそも「ニュース」というのは、正しいことを伝えてこそのものです(電車の中で書いておりますので、気になる方は、どれでも構いませんので英英辞典を参照ください)。それに「フェイク」という語で形容するわけですから、語義矛盾が起こるのではないでしょうか。これは「フェイクニュース」というより、デマに近いです。野次馬が誤って情報を伝えることよりひどい有様です。トランプ陣営に「デマ情報局」の親玉(誰だかは言わずもがな、書かずもがな)が座っている。アメリカの一般社会人が堂々と面白半分で誤った情報が載せられた記事をその人のサイト内で書いている。時代も変わったものです。変わったというより、時代が逆戻りしたのでしょうか。コンピュータも電話もない時代はデマが飛び交うだけで命取りになった話はありますが、それよりも低レベルなのではと思ってしまいます。